92/12/02 02:38:42 ジグムント 3年社会科>ブロックテーマと実践メモ
 
中学年ブロック研修テーマ
 




 

       地域に生きる喜びを味わう

   −子供たちが生き生きと取り組む体験活動−
 
 
1 ブロックテーマについて
 
(1)中学年の特性
 
   白石小学校の中学年の特性というより、一般的な特性ではあるが、児童の実
  態を把握して、それをもとにテーマを見直すことが大切であると考える。
 
 ・低学年の活動・体験を中心とした内容より発達し、活動の範囲が広がり、理解
  が深まる。
 ・活動が集団的になり、主体的に活動する子供とそうでない子供に分かれていく。
 ・自分の思っていることはよく主張するが、人の言うことはあまりよく聞かない。
 ・学習態度がよく男女協力して取り組める。個性が強く活力がある。
 ・理解力の差が大きくなる。根気のない子がおり、学習の追求に深まりがない場
  合がある。
 ・他人のために何かをしてあげようという意識が薄い。
 
 
(2)「地域に生きる喜び」とは何か
 
 (例)「わたしたちのくらしと公民館」の学習から
 


 

子供たちの経験(記憶から)
 


 




 




 

    ・子供会で行ったことがある
    ・お母さんがコーラスでつかっている
    ・おじいさんが老人会のバザーに参加した
 


 

 公民館て何するところ?
 

(課題)
 
                                     










 




 

    ・調べに行ってみよう(見学・館長さんの話)
    ・まわりの人に聞いてみよう(家・近所の人)
    ・生活をもう一度見直してみよう


    ・お父さんが白石フェスティバルの餅つきの
     写真に映っていたよ(公民館で発見)
    ・家のとなりの人がお花のサークルの先生を
     しているんだって(公民館活動の理解)
    ・おばあちゃんが婦人会の世話をしていたんだって(喜び)











 





 
(新しい発見)   











 

公民館活動が生涯教育の一環であることを理解し、自分も社会教育の
中に進んで参加しようとする態度が育つ(学習のねらいとするもの)
 



 





 





 

    ・すすんで公民館行事に参加しよう
    ・自分もサークルに入ってみよう
    ・学校の勉強だけではなくいろいろな勉強に取り組んでみよう
    ・社会の役にたつ人間になろう
 


 

 地域にいきるよろこび
 
 
 
 求@ここでいう「生きる」とは、低学年の生活科における「かかわる(接触があ
  る、ふれあいがある、つながりがある)」よりももっと積極的な意味があり、
  子供たちの実際の生活に結びついた状態、または直接働きかけがある状態をい
  う。
 求@実生活の中から課題意識をもち、それを探り、深め、考えていくのは、昨年
  度学習過程部において提唱された学習過程のプロセスである。その過程が身近
  であるほど「喜び」は大きくなると考える。
 求@公共施設やものを作っているところ、販売しているところなどの周囲から自
  分に向けられている働きかけはどのようなものがあるかを調べてそれに気づく、
  あるいは反対に自分の生活がどのようにかかわっているかを知ることによって、
  「自分は地域社会にこうやって支えられているんだ。反対に、自分はこうやっ
  て地域社会の中で生きているんだ。」という意識が深まる。
 求@この意識があってはじめて「地域の人々の願いや協力している姿」に共感で
  きる。この共感があって「人間の生き方の追求」に到達することができる。
 
 
2 体験について
 
(1)体験とは何か
 
   広島大学の黒田耕誠氏によると「何もせずにじっとしているだけでも体験で
  ある。その間に五感は立派に働いている。」という。しかしこれでは、「人間
  の生き方を追求する」ための「体験」とはいえない。授業中にテレビの画面を
  見ているような感覚で学習している子供たちも多いのが現状である。これは、
  自分とのかかわりが非常に薄く、興味・関心が乏しい状態である。実際には、
  興味・関心はなくても、言語的・抽象的な知識・理解はある程度子供たちに定
  着させることはできるが、「地域に生きる喜び」はこのような種類のものでは
  ない。
   そこで「体験(経験)の条件」として、「哲学の現在(岩波新書)」の中で
  中村裕二郎氏は、@主体的である、A体を通してやる、B現在の抵抗をわがも
  のにするプロセスである、と述べている。
  「主体的である」とは、やらされた体験ではなく、内面に根ざした体験でなけ
  ればならないとする考え方である。ここに中学年のブロックテーマである「生
  き生きと」の意味がある。「生き生き」とは、主体的に活動しようとする意欲
  を示すとともに、その活動の目的や方法を理解している状態をいう。
   なお、子供たちの実生活の中では、体験は仕組まなければ成立しない場合が
  多い。テレビや本などの別なメディアに置き換えられた体験が、情報として整
  理された形で提供されるため、子供たちは受動的なままで多くの間接的な体験
  を行ったような気になっている。しかしこれは、じっとしたまま体を動かさな
  い体験である。よく「五感を働かせた体験」というが、「五感」とは、味覚・
  聴覚・視覚・嗅覚・触覚の5つの感覚機関の働きだけを指すのではなく、「価
  値あるものに気づく感覚」であり「情操(価値あるものを追い求める感性)」
  と結びついたものであるととらえることができる。
   実際の場面で、子供たちは様々なことに出会う。それはもちろん楽しいこと
  であると期待して体験活動に取り組むのであるが、中には、知らない人に質問
  をしなくてはいけない抵抗感や初めての場所を訪れる不安など、いろいろな困
  難を乗り越えて体験は成立する。このように、感情のセルフ・コントロール 
  (日本語になおすと「克己」とでも言えるか・・・・?)ともいえる状況があ
  ってはじめて教育の場にふさわしい「体験」が成立するのではないだろうか。
  ものを作る活動において何度やっても成功しないあせり、思い通りの成就感が
  味わえない状態なども、このセルフ・コントロールが必要な場面であると言え
  る。
   これまで、「人間の生き方を追求する社会科」において、人々の生きざまや
  願いに共感する「モデリング」の考え方で取り組みがなされてきたが、本年度
  の中学年では、子供たちがほどよい抵抗感の中で自分自信を見つめ直すという
  意味での「人間の生き方の追求」にも着目してみたいと考えている。
 
 
(2)具体的な体験活動
 
  @ 体験の度合い
 
    基本的な学習のねらいに合致していれば、体験に良い、悪いはないはずで
   ある。しかし、教室でただじっと座って学習しているより、博物館や資料館
   を訪れた方がより体験的だし、自分たちで何かをつくり出す活動をする方が
   もっと体験が深まる。つまり、体験には、「体験の深さ」「度合い」のよう
   なものがあり、より深まりのある体験をさせることが望ましいのは言うまで
   もない。だが、毎時間深まりのある体験を仕組むことは難しく、また体験以
   外の知識・理解の学習は落ちついた状態で整理した方がよい場合もある。従
   って、度合いの深い体験活動は一単元に1回〜2回程度とし、単元のねらい
   を達成するのにより効果的なものに精選をする必要がある。ここでは、体験
   の度合いのことを、仮に「体験度」と呼ぶことにする。
 
  A 体験の自由度

    体験の深さや価値を比較する方
   として、「自由度」と「体験度」
   との組み合わせというものを仮定
   してみた。教室で黒板に向かいな
   がら教師の話を聞いているような
   学習形態は、自由度と体験度が共
   に低い状態である。(D)
    同じ一斉授業でも、資料集の写
   真をつかったり図書館で図鑑を調
   べたりする場面が入ると自由度は
   高くなる。(C) さらに、埋蔵
   文化センターや工場へ社会見学へ
   行けば、集団行動をすることが多
   いので自由度は低いが、体験度は
 

・・  体験度と自由度の関係  ・・・
       高 い












 

図書館で
図鑑など
調べてい
る状態




 

A 自分たちで
  作ったり調べ
  たりしている
  状態












 

体験度
教室で教科書
や黒板で授業
している状態
  低 い 

 


B 集団で見学し
  たり作ったり
  している状態


 
   かなり高くなる。(B)
    そこで、自分たちで単元のねらいに沿った何かを作ってみれば、体験度は
   もっと高くなる。それも、一斉に同じものを作るのではなく、各自でねらい
   を考えて作り方や作るものを考えるようにすれば、自由度は高くなり、体験
   の価値も高くなっていく。(A)しかし、この自由度が余り高すぎて子供自
   身のレディネスを越えてしまうと、「さまよう状態」に陥る危険性もあるの
   で注意が必要である。
 
  B 学習目標と体験
 
    学習活動の中であえて体験活動を仕組むのは、知識・理解だけではない、
   より深い学習効果を望んでいるためである。特に「人間の生き方を追求する」
   ような学習では、体験によって自らが考え、五感を通してつかみとった学習
   でなければならないと考えるためである。
    そこで、3年生の「私たちのくらしとものをつくる仕事」の単元で取り組
   んだ体験活動を例に、「人間の生き方を追求する」体験活動について考えて
   みた。
 
   求@ものをつくる仕事を理解し、そこで働いている人たちの思いや願いに気
    づくために、まず自分たちの手でういろうをつくってみることにした。
     そのため、ういろうとはどんなものなのか、どうやってつくるのか、あ
    るいはういろうはこれまでどのようにしてつくられてきたのかをじぶんた
    ちでしらべてみることにした。
     まず百科事典で「ういろう」の項目を引いてたり、ういろうの店に直接
    でかけてつくり方をたずねたりした。なかには、お菓子のつくり方をかい
    た本の中からういろうのつくり方を見つけた子供もいた。このような活動
    の中から、ういろうは小麦粉、でんぷん、砂糖などの簡単な材料でつくら
    れていることがわかり、山口市内でもたくさんの種類のういろうがつくら
    れていることがわかった。
     ここは、自分たちの力で自由に調べている場面なので、直接工場に行っ
    てつくっている様子を見てきた子供もいれば、あまり本気で調べていない
    子供もいた。ういろうのつくり方にも諸説あり、また、つくる人たちの思
    いや願いという内容へは踏み込むことはできていない。
 
   求@そこで、調べたことを簡単にまとめる過程を通して、
    ・蕨餅粉をつかったういろう
    ・蕨餅粉をつかった抹茶ういろう
    ・蕨餅粉を使わないで上新粉をつかったういろう
    の3種類のういろうをグループで分担してつくってみることになった。
    この3種類は子供たちが調べた中ではいちばん簡単につくりやすそうで、
    つくり方の手順がくわしく記載されていたからである。
     この段階で、子供たちはういろうのつくり方が予想外に簡単であり、自
    分たちも簡単につくれるものと考えている。「自分たちでういろうつくり
    をして、こうやったらおいしいういろうになったよ。」ということを工場
    の人たちに教えてあげよう、と考える子供たちも多くいることからそれが
    うかがえる。
 
   求@ところが、実際にういろうをつくってみると、それが簡単にはつくれな
    いことがわかってくる。以下は、子供たちが「ういろうつくりを通してわ
    かったこと」を箇条書きににしたものである。
    ・分量を正しく測ることが難しい。
    ・測った材料をこぼれないように運ぶことが難しい。すぐまわりが汚れて
     しまう。
    ・小麦粉を細かくすることが難しい。
    ・小麦粉とでんぷんを混ぜるときにとてもとけにくい。
    ・蒸すときの水の量がわからなかった。
    ・蒸す時間がわからなかった。考えてなかった。(作り方の本にはただ
     「蒸す」とだけし書かれておらず、目安となるものがなかった。)
    ・材料をとかす水の分量が多すぎて、ベチャベチャになってしまった。
    ・形が崩れないように切るのが難しい。なかなか流し缶からはずれない。
    ・店売りはベタベタしないのに、自分たちのつくったものはベタベタする。
    ・店売りの方が美味しい。
    ・抹茶の味が薄かった。
    ・色がそろっていない。(あんこの色が残ってしまった)
 
   求@これらの結果をもとに、「では、ういろうつくりをしている人たちはど
    のような思いや願いをもっているのだろうか?」と質問すると、次のよう
    な結果となった。
    ・味がかわると美味しくないものができるので、いつも同じ味になるよう
     にしているにちがいない。いちばん美味しいものをつくとろうとしてい
     る。
    ・見た目も大切なので、同じ形や色になるようにしている。買う人が美味
         しいと感じるようにしている。大きさをそろえるのも大切。
    ・食べた人がおなかがいたくならないようにえいせいに気をつけている。
     ものをこぼしたり、道具がよごれたりしないように注意している。
     これらの気づきは、先の「わかったこと」を整理している過程で子供た
    ちが自然に見つけてきたことで、これは、自分たちでういろうとつくり、
    わかったことをまとめることによって実感として味わうことができたもの
    である。
 
   求@これらの結果をもとに工場見学を行った。見学の過程では基本的なうい
    ろうのつくり方がわかっているので、「小豆や砂糖を混ぜるときには、工
    場ではこうやっているのか」「蒸す機械がたくさんあって次々にできあが
    っている」「作業が手順よくできるように機械が並べられている」という
    ことが理解できた。
     また、「小豆を鍋にいれるとき、柄杓を2本つかって下にこぼれないよ
    うにしていた。衛生に気をつけているんだ。」「ういろうを同じ大きさに
    切るのに、木枠に細い糸を張ったものをつかっているのできれいに切れる
    んだ。」「水をたくさんつかって道具をきちんと洗っている。」というこ
    とも発見することができた。
 
   求@工場見学の後で、工場のおじさんにお話を聞くときも「昔からの味を大
    切にするために、白ういろうと黒ういろうと抹茶ういろうの三つしかつく
    っていないのです。」という言葉を共感をもって聞くことができ、同時に
    他の工場ではいろいろ工夫しながら新しい製品つくりをしていることも感
    じとることができた。
 
   求@1学期の社会見学では、同じように「ものをつくる仕事」として宇部市
    の蒲鉾工場を見学した。そのときも、事前に製造過程を学習していたが、
    結局製造工程やつくるための工夫については理解が浅く、自ら発見しよう
    とする姿勢はみられなかった。また、工場の人のお話に対しても、同じよ
    うなことを何度も質問したり、形式的な内容だったりした。また、その後
    の定着についても今回の見学とは非常に対象的であった。
 
   ういろうつくりと工場の見学を通して子供たちが気づいた、「美味しい製品
  をつくろう」「買いたくなるような製品をつくろう」「品質のそろった製品を
  つくろう」「衛生に気をつけてつくろう」といった製造者としての思いは、も
  のをつくる仕事に従事している人たちに共通しているだけでなく、他のどのよ
  うな職種の人々の考えにも通じる「人間の生き方」である。このような思いを
  実感できるような場面を設定することが体験活動でもっとも大切なことである。
 
文中に「さまよう状態」という言葉がありますが、「はいまわる社会科」と
した方が一般的なので訂正いたします。
 
     じぐむんと
 

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