91/03/17 22:06:29 くろ 五面鋳型解説(最初に読んでね)
資料は毎日新聞1991年3月16日1面からの抜粋です。
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■ 五面鋳型
出土場所 筑紫平野東北部の福岡県朝倉郡夜須町 ヒルハタ遺跡
時代 弥生時代後期中頃と推定
1枚のほぼ正方形の砂岩系石板(13cm X 13.5cm 厚さ 5cm)に
次の5つの鋳型が彫ってあるもので中国半島でも例がなく、弥生の国があったこと
を示す第一級の出土資料。
(1)小形内行花文彷(ぼう ただし左側はイの字)製鏡 <国内最古>
これまで銅鏡鋳型は福岡平野の須玖岡本遺跡群(福岡県春日町)で出土した二例
があるのみ。いずれも弥生後期後半で今回より新しいうえ、摩耗が激しく紋様は読
み取れないが、今回の鋳型には弥生人が中国鏡の銘文の漢字をまねて彫り込んだ擬
銘帯が鮮やかに残っている。この鋳型に一致する銅鏡の出土はないが、佐賀県神埼
郡東脊振村の二塚山遺跡出土のぼう製鏡が最も近い。
(2)十字形銅器 <国内初 >
製品自体も過去出土していない珍品。盾などの飾り金具と見られている。
(3)有茎銅鏃(ぞく=やじり)二個 <国内初 >
初の出土で複数の鏃を縦に並べた形で鋳造、後から切り離す連鋳式。同工法で切り
離す前のものは滋賀県などに出土例がある。
(4)同一個 <国内初 >
(5)同一個とガラス勾玉 <国内初 >
〔ヒルハタ遺跡〕
竪穴式住居跡三百軒以上や掘立柱建物跡、周溝などが確認され弥生後期から古墳時代初
頭(2〜3世紀)にかけての集落跡推定される遺跡。
5面鋳型は、このうちの竪穴式住居跡(4.5m X 6.5m)の土こう(直径が、
80cm深さ80cm)に埋まっていた。他に青銅器生産に関わった遺物や痕跡は平成3
年3月16日現在未確認。
〔弥生の青銅器鋳型〕
適した石材が入手困難だったため、複数面に彫ってあることが多い。通常は裏表の二面
だが、佐賀県教委が平成3年2月に発表した吉野ケ里遺跡出土の鋳型片は銅剣三面、銅戈
(どうほこ)一面の四面に彫ってあった。時期は弥生中期初頭(紀元前二世紀)と見られ
今回出土した五面鋳型より四百年近く古い。
ShoukaSon-Jyuku
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