92/01/18 02:40:27 ジグムント おもしろい新聞記事がでていました
 
1月13日付けの山口新聞の1面です。
 
「中山忠光卿息女 仲子姫 山口で育つ/歴史好きの73歳リポート」
 
山口市に住む歴史好きのお年寄りが、明治天皇の叔父で悲運の最後を遂げた中山忠光
卿の嫡子・仲子姫と山口とのかかわりを追ったレポートをこのほどまとめた。大内氏
ほか明治維新の隠れた人物など、興味ある事柄を丹念に調べており、いずれは一冊の
本として刊行したいと意欲を燃やしている。
 白松久さん(73)=同市野田=山口を開いた大内市の拠点・大殿地区に住むとい
うことで数年前から歴史に興味を持ち、生涯学習として山口の歴史について勉強を始
めた。その中で、中山忠光卿の生後間もない姫が山口で過ごしたことがあるという史
実に興味を持ち、一昨年から専門家の話を聴いたり関係する旧家をたずねたりして資
料を集め、リポートにまとめた。
 リポートはワープロ文で35ページの冊子。他に古文書コピーや資料の写真なども
そろっている。
 中山忠光卿は藤原道長の流れをくむ中山忠能卿の五男。忠能の息女慶子は明治天皇
の母で、忠光は明治天皇の叔父にあたる。討幕運動にはしり、天誅(てんちゅう)組)
の盟主として最後は長州に敗走。元治元年(1864)11月8日、現在の豊浦郡豊
北町田耕で暗殺された。19歳7ヶ月だった。病死と報告された遺体は下関市綾羅木
に埋葬され、中山神社が建立されている。
 リポートによると、側女だった下関のはたご屋、恩地与兵衛の二女トミが暗殺の翌
年に産んだのが仲子姫。白松さんは、仲子姫が歴史の表にあまりでておらず、生後九
ヶ日目に下関から山口に連れ出されていることに興味を持った。
 月日は不明だがトミと仲子姫は山口に矢原村に現れ、村の庄屋、岡屋彦四郎宅滞在
となっており、末裔を探し出したが記録は何も残ってはいなかった。史実によると、
このあと宮野桜畠村の庄屋、徳田勘兵衛宅に預けられている。白松さんは現存する五
代当主のP母親から話を聞き、由来する文書や品をコピーや写真に収めた。
 話では、仲子姫は毛利家の養女となる明治3年3月まで離れの六畳で過ごした。勘
兵衛には仲子姫より五歳年上のチカという娘がいていっしょに遊んでいたという。産
着や玩具などは中山神社に寄贈していて、忠光卿が短冊に詠んだ和歌やトミにあてた
文書、朱塗りの沈金仕上げの三重杯などが大事に保管されていた。
仲子姫はその後京都の中山家に帰り、19歳で嵯峨公勝と結婚、トミも同家に引き取
られた。仲子姫の孫、浩(ひろ9は旧満州国皇帝の実弟・愛新覚羅溥傑(ふけつ)の
妃となったことは知られている。(後略)
 
※ なかなかおもしろい記事でした。特に山口市とのかかわりや、溥傑とのかかわりは
  初めて知りました。
 
 
    ジグムント

ShoukaSon-Jyuku
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